AVEDIS - THE BEGINNING

トルコの地で3世紀にわたるシンバル製造を行ってきたジルジャン社は、1929年にその秘伝のシンバル製法をアメリカに移住していたアベディス・ジルジャンⅢ世に引き継ぎました。アベディス・ジルジャンⅢ世は1889年にコンスタンチノープルからほど近いサマティヤに生まれ、1909年にアメリカに移住しました。アベディスは5つの言語に堪能で、ビジネスの才をもった明るく都会的な男性でした。菓子屋のオーナーとして働いていたアベディスは、マサチューセッツ州ドーチェスターの、魅力的で知的な娘サリーと出会い結婚しました。そして1921年に二人には息子アーマンドが生まれ、その二年後にもう一人の息子ロバートが生まれました。
1927年、運命はアベディスの父の弟であるアラムからの一通の手紙という形でやってきました。そこには、ジルジャンファミリーのシンバル製造法をアベディスに引き継ぐ時が来たと記されていました。しかし、ジルジャンファミリーが1623年以降シンバルを作り続けてきたトルコの地に戻るのを良しとしなかったアベディスは、アラムを説得し会社を米国へ移します。アベディスはアラムの指導のもと、1929年に新しいシンバル工場をマサチューセッツ州クインシーにあるノーフォークダウンズのフェイエット通り39に開きました。
当初、一部のプロドラマーは、トルコ製ではないシンバルをなかなか受け入れませんでした。しかしアベディスは簡単にはあきらめず、彼らのニーズを知るためにどこへでも行き、数々のドラマーに会いました。彼はニューヨークのハーレムに行き、閉店後のジャズクラブで、その当時のドラマーに必要とされたサウンドを直接知るために徹夜もしました。この洞察力で、アベディスは異なる種類のシンバルを製造し始め、ポピュラー音楽を永遠に変えた革新の数十年が始まったのです。

AVEDIS - THE COLLABORATOR

アベディスは、すぐに当時のすべてのプロドラマーと知り合いになりました。彼はボブ・クロスビーとも演奏したレイ・ボーダックと仲良くなりました。彼はまた、チック・ウェッブそしてパパ・ジョー・ジョーンズを知りました。しかし、彼が仕事のうえで最も緊密な関係を築いたのはジーン・クルーパでした。クルーパはアベディスに、より薄いシンバルを作ってほしいと頼みました。そして彼は「ペーパー・シン」と呼ばれる薄いシンバルを作りました。それからクルーパは、特別な目的で使うシンバルの普及を手伝いました。この助言とこれらの革新は、ジルジャン社に大きな影響を及ぼし、アメリカ人は同社の製品を受け入れるようになりました。

スプラッシュ、ライド、クラッシュ、シズルシンバルといった多くのジルジャンの革新は、多くのドラマーとアベディスのコラボレーションから生まれました。しかし、ドラマーのタイムキープの方法を変えることでアメリカ音楽の性質にも変化をもたらしたのはハイハットまたはソック・シンバルでした。ハイハットの出現前、ドラマーはビートを打ち出すために、スネアドラムやカウベル、ウッドブロック、その他の打楽器を使ってプレス・ロールを行っていました。ハイハットへの偉大な協力者は、チック・ウェッブ、パパ・ジョー・ジョーンズ、そして後のバディ・リッチとルイ・ベルソンでした。

AVEDIS - THE INNOVATOR

新しいタイプのシンバルの需要が生まれるたびに、アベディスは時代の音楽に合う楽器を作り要求にこたえました。多くの模倣者が突然発生する中、より深いカップと様々な厚み、異なるウェイトとサイズ・オプションを提供することによってジルジャンは時代を先導しました。1930年代の終わりまでには、ペーパー・シンは、その明るさと素早い減衰で最も人気のあるウェイトでした。

1940年代には、音楽は大きなオーケストラからより小さなジャズ・バンドへとシフトし、ドラムの演奏も新しいスタイルへと変わっていきました。小さな場所では小さなバンドが必要とされ、ドラマーはクィンテット、カルテット、あるいはトリオにおいてドラムセットでより多くのことを求められました。音楽も時代とともに変化し、そしてドラマーもある決まった演奏スタイルから徐々に自由になりました。ジルジャンはその新しいスタイルを受け入れるために製品を適応させ続け、バウンスまたはライドと呼ばれるより大きなシンバルで応えました。
1950年までに、ジルジャンには15人の従業員がいて、1年に70,000枚近くのシンバルを製造していました。「モダンジャズ」の人気のおかげで、ドラムは進化を遂げそして、ドラマーは音の表現方法を拡大しました。シンバルを使った実験で新しいサウンドが生まれました。大きなボトムに小さなトップを乗せたハイハットや、シズルシンバルとして知られる釘を刺したライドシンバルはマックス・ローチ、シェリー・マン、ルイ・ベルソンのようなアーティストによって生まれました。

そのような中、新しいスタイルの音楽が生まれ始めていました。ロックンロールです。R&B、カントリー、ゴスペルそしてブルースの影響を受けたこの音楽スタイルの出現は、アベディスにとってシンバル製造の新しい時代ともなりました。この数十年におきた音楽の進化同様、ジルジャンのビジネスは、時代の音楽にマッチする製品を生むことで成り立っていました。大音量のロックンロールでは、エレキギターやボーカルに負けずに聞こえるシンバルが求められたので、ジルジャンはミディアム、ミディアムヘビーといったウェイトのシンバルをより深いカップを使って改良し、轟の中にはっきりとした透明感のある音色を持たせました。1960年代後半までには、ロック・シンバルとニュービートハイハットは、より大きなサウンドを求めるドラマーたちを満足させるものとなりました。

AVEDIS - THE LEGACY

ジルジャン社は、60年代、70年代の音楽とともに成長し、繁栄を続けました。アベディス・ジルジャンⅢ世は1979年に90才で亡くなるまで、会社の日々の経営に関与し続けました。その3年前、アベディスは公式に彼の長男アーマンドをこの伝説的なシンバル製造ビジネスの12代目の社長に任命しました。「私は父から多くを学びました」とアーマンド・ジルジャンは言いました。「父は非常に決断力のある優れたビジネスマンであり、生まれながらのリーダーでした。一方で、彼はあたたかな面をもつ非常に控えめな男でもありました。彼は、彼の経験について話すのが好きでした。また、コンスタンチノープルに住んでいた少年時代から世界がどれだけ変わったかについて語るのが好きでした。彼は強力な存在でしたが、今日のシンバルがあるのは彼のおかげです。」
アベディス・ジルジャンⅢ世が1929年にシンバルを製造し始めた時から、パーカッション産業は大いに変わりました。しかし、彼の数えきれない革新と開拓者的な生産技術は、ジルジャン社を20世紀で最も影響力のある楽器メーカーの1つとして疑う余地のないものとしました。彼のシンバル製造に対する衰えぬ情熱は、その後の音楽を大きく変えたのです。
今、我々は、アベディスが作り出した音にインスピレーションを受け生まれたAvedisシリーズで、アベディス・ジルジャンⅢ世に敬意を表します。しかし、アベディス・ジルジャンⅢ世の命と革新に対する本当の賛辞は、幾世代に影響を与えた数え切れない数のアルバムや歌の中で今でも耳にすることができるのです。

1930年代から60年代にモダン・アメリカンシンバルの父、アベディス・ジルジャンⅢ世が作ったシンバルサウンドを再現した、新シリーズ"A Avedis"

ハイハット

クラッシュ/ライド